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トップ  >  コラム  >  ひとサジのSouP:コッペパン109号(2004/09)〜121号(2007/09)  >  ひとサジのSouP(コッペパン117号(2006/09)掲載)


ひとサジのSouP(スープ)(コッペパン117号(2006/09)掲載)

 
 
 長い梅雨がやっと明け、昨日まで降っていた雨が嘘のように晴れ上がった日の午前、私の母が亡くなりました。

 どんなに年をとってもやはり母の死は辛い。ただの子どもに戻ってしまうものだなと感じました。あの日から少しの時がたち、また、いつもの生活が始まっていますが、時折ぼーっとしているといつの間にか母のことを考えてしまいます。そして「母はどんな人だったのだろうと思うのです。それは性格とか日常子どもに見せる顔や言葉ではなく一人の人として何を考え、悩み、心にどんな気持ちを持ちながら過ごしていたのだろうか…と。

 子どもから見ると親はいつも親の顔をしているように思います。恐らく子どもには言えないことを友人に話したりしていたのでしょう。そんな友人の中でも母の話の中にあまり出なかった人のことはいくら子供でも知りません。母が病床で「会いたい」と言っていた人がいました。もちろん母は元気になったら会いに行くつもりだったのでしょう。その人の居場所を知らせることなく逝ってしまいました。けれどよほど会いたかったのか…新聞の訃報欄に母の名があるのを偶然に見つけたその人は最期のお別れに来てくれました。きっと、気持ちが通じ合う大切な友人だったのだろうなと思うと同時に母の違う一面を見たような気がしました。

 子どもは親に自分のことをわかって欲しくてたくさん話をしますが親はそれを受けとめるばかりで自分のことを語るなどごくわずか。そのことを失って初めて、肌身で感じ、そうしてくれた母の存在の大きさに気づきました。今さら…ですが私は母が一人の女性としてどんなふうに歩んできたのか知りたくなりました。そこから何か見えてくるものがあるのかな…と。今は、何より心から母に感謝しています。


 


 



 
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