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トップ  >  コラム  >  舞台のトナリ:コッペパン100号(2002/06)〜113号(2005/09)  >  舞台のトナリ「喜怒哀楽」(コッペパン110号(2004/12)掲載)


舞台のトナリ「喜怒哀楽」(コッペパン110号(2004/12)掲載)

 
 
 喜怒哀楽というのは、人間の感情表現の基本です。

 演劇の訓練で「喜怒哀楽」を表現しろというのがある。自分で何かシチュエーションを作って、それぞれの場面で感情を表現するのである。シチュエーションも何も関係ない!とばかりに、ただひたすら「笑え!泣け!怒れ!」というのもある。古典芸能などでは、シチュエーションを無視した訓練をするようだ。(シチュエーションなんて言うと、それなんどすか?と言われるそうです)
 狂言の笑いは、声を出さなければ笑いにならない。だから、可笑しかろうと可笑しくなかろうと、とにかく「わーっはっはっはっはっ」と、声を出して笑う。そのうち本当に笑えてくる。

 たしかに、ドラマの中で笑うときに、なぜ笑うのか?どんな笑いなのか?という設定は必要です。でも、人間の心のうちには様々な感情が渦巻いていて、それらの感情が心の中にしまわれているようです。いつでも取り出せる感情もあれば、心の奥底に閉じ込められている感情もある。そんな深い感情と向き合い、表現したいというのが、舞台に立つ人間の思いです。

 長い間演劇と関わっていると、つい、演技だから・・・という発想をしてしまうことが多くなる。笑えと言われても、なぜ笑うんですか・・・?と思ってしまう。

 以前、演劇のワークショップを開いた時のことです。とにかく笑うために、小さな笑いから始め、だんだん大きくして、最後に大笑いしたことがあります。何だか本当に笑えてきた。次に、だんだん大きく泣いていきました。これはなかなか泣けません。しかし、参加者の一人が本当に泣き出してしまったのです。泣いている真似に触発されて、本当の悲しみが顔を出してしまったのです。
 笑いはすぐに抜けましたが、一度泣いてしまうとなかなか抜け出せません。人前で泣くということは、よほど何か深く心を動かすものがあったということです。しかし、泣いた本人も、なぜ泣いたのかわからないということでした。それは、ワークショップに参加した人たちにとっても、濃密な時間でした。

 さて、私・・・・・・。舞台の上で演じながら、役に没入して感極まり、泣いてしまったことが何度かあります。でも客席はどうだったのでしょう・・・・・・。そうなのです。自分で泣くより、観客を泣かさなければ、意味ないですよね。


 


 




 
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