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トップ  >  コラム  >  舞台のトナリ:コッペパン100号(2002/06)〜113号(2005/09)  >  舞台のトナリァ屬錣る 2」(コッペパン104号(2003/06)掲載)


舞台のトナリァ屬錣る 2」(コッペパン104号(2003/06)掲載)

 
 
 「わかる」というテーマでしばらく書こうと思っていたら、何だかよくわからない事件が次々と起こってしまった。テーマを「わからない」とした方がよさそうな気さえする。
 イラク戦争・SARS・白装束の集団……。

 戦争を仕掛けた理由がもし事実なら、やっつけなければ大変なことになるだろう。しかし、何だかピンとこない。しかも、戦争になれば、大儲けする人たちが居るらしい。
 戦争は起きてしまえば勝たなければならない。勝つためには、国家は秘密主義になる。国民は何もわからなくなる・国家は命令を出す。命令はわかる必要はない。ただ実行するだけだ。

 SARSが流行している。原因となるウイルスが何種類も発見されているという。これもよくわからない。しかし、医学の知識がなければわからないのも無理はないだろう。感染の恐怖はあるけれど、わからないことへの生理的な不快感や恐怖は比較的小さい。

 「わからない」ことへの生理的な不快感といえば、あの白装束の集団だ。
 テレビのニュースで地元の住民のインタビューを見れば、全員が「気持ち悪い」「わけがわからん」と答えている。
 職を失いホームレスとなった人たちが、キャラバンを組み野営しているのであれば、まだわかる。芸術家が、山の樹々に白い布を巻きつけ「これが環境芸術だ」といえば(わからないという人もたくさん居るだろうが)わからないこともない。
 しかしあの集団はどうもわからない。気持ちが悪い。といって、ただ出ていけと言っていたのではらちが明かない。

 戦争も病気もたくさんの人が死ぬ。しかし、人が死ぬのが気持ち悪いのだと言っていれば大切なものは何も見えてこない。気持ち悪さの正体は「わからない」ことなのだ。
 白装束の集団も、あの人たちが気持ち悪いのではなく、何を考えているのかわからないことが気持ち悪いのだ。
 「わからないもの」を排除するのか、受け入れるのか、わかろうと努力してみるのか……。
 「わからないもの」或いは「わからないこと」に対してどう向き合うかが大切だと思う。

 


 




 
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舞台のトナリぁ屬錣る」(コッペパン103号(2003/03)掲載)
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