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トップ  >  コラム  >  舞台のトナリ:コッペパン100号(2002/06)〜113号(2005/09)  >  舞台のトナリぁ屬錣る」(コッペパン103号(2003/03)掲載)


舞台のトナリぁ屬錣る」(コッペパン103号(2003/03)掲載)

 
 
 世の中わからないことが多すぎる。わからないままでは困るが、わかってないのにわかったつもりになるのは、もっと困る。
 そもそも『わかる』というのはどういうことなのか。これがわからない。

 劇団の研究生だったころ、先生に「わかったか」と聞かれて「わかりました」と答えると、「いい加減なことを言うな!」と怒鳴られる。頭の中でわかるわからないよりも、実際にちゃんとできるかどうかが問題なのだ。
 怒鳴られるのがわかっているので黙っていると、「何とか言え」と怒鳴られる。「わかりました」と答えてまた怒鳴られる。「わかってるんならやってみろ」と言われ、演じてみてまた怒鳴られる。
 理不尽な世界である。

 『わかる』というのは、頭でわかるのと体でわかるのと、二つあるようだ。理解する・体得する、ということでしょうか。
 でも、頭で理解しなければならないような数学の問題でも、悩み続けてわからないときは、なんだか胃の辺りが重たかったり、気分が晴れなかったりするものだ。
 こころ(頭脳)と体は密接につながっているということです。
 わからないときに、腑に落ちないと言います。腑とは、ハラワタつまり体のことです。腑に落ちる、つまり体におさまるとすっきりします。
 一本お芝居を創ろうと思うと、「わかる」「わからない」の繰り返しになります。
 登場人物の気持ち・作者の意図・内容の解釈・時代背景…。そして、それらを的確に表現するにはどうしたらいいのかがわからない。
 いくら稽古をしてもわからないときもあるし、わかったつもりでやっていたのに、公演直前に?が出てくることもある。
 大きな声では言えないけれど、わからないまま舞台に立つこともある。
 そんなときに限って、今日の出来は良かったと言われると、芝居というものがますますわからなくなる。
 しかし、あまりわかりやすいというのも面白くない。

 芥川龍之介の「藪の中」、黒沢明が「羅生門」として映画化しましたが、これなんか結局真相はわからない。まさに真実は藪のなか。

 だから面白い。

 これも小説や映画の中だから許せることで、日常生活でこんな不可解なことがあれば、フラストレーションがたまって仕方がない。
 演劇なんかにかかわって生活していると、収入も不安定だし、社会的地位が上がるわけでもない。老後のことを考える余裕もない。
 いっそのこと足を洗って、定職に就こうか…。
 ワカッテイルケドヤメラレナイ。

 


 




 
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